三月になりました

早いもので、なにやら知らないうちに三月になりました。

ブログも滞ったまま

「詩」や「短歌」の編集も、ストップしています。

 

どんな風に掲載しようかと考えていると

どうにも、気に入らないというのか

そのままではなく、手直ししたくなって

それで、ついつい遅くなっているのですよ。(トホホ)

 

特に「詩」は、書いた当時の心境と今の心境が

ずいぶん変わってきているために

手直しするより、初めから書き直したほうがいいかも・・・

とか、あれはあれで、その時の心境として記録しておいてもいいんじゃないか

とか、迷っています。

 

まあ、そのうち、気持ちが定まるまでそ~っとしておこうか・・・

などと思い、結局、そのまま放置状態です(笑)

 

今日は、久しぶりにブログを書いていますが

以下に、アメブロに今日投稿した記事を転載しておきます。

(若干、変えている部分もあります)

如月

今日から三月、『弥生』ですね。

ところが、太陽と月の運行で暦を作っていた旧暦で言うと

今日が新月で、『如月』の始まりなのですね。

 

現代人の私たちの感覚では、三月は『弥生』で、

『弥生』と言えば桜のイメージがあります。

ところが、旧暦では約一ヶ月(その年によって、半月ぐらいだったり色々ですが)

ずれていて、『如月』が桜と結びつくイメージなのですね。

如月には、梅がすっかり咲いて、そのうち桜も咲いてくる

まさに春・・のイメージです。

 

『如月と桜』を詠んだ歌に、こういうのがあります。

『願はくは花のもとにて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月の頃』

これは、西行法師が、亡くなる十数年前に詠んでいた歌だそうです。

 

「如月の望月」というのは2月15日で、釈迦の命日。

(できることなら、2月の満月(15日)ごろ、春、満開の桜の下で(私も)逝きたい)

そう願ったとおりに、

実際、西行が息をひきとったのは2月16日でした。

釈迦の入滅の一日あとですね。

 

西行という人は、元々北面の武士(院、つまり上皇を守る武士)だったと記憶していますが

出家前に次のような歌も詠んでいます。

 

『世を捨つる人はまことに捨つるかは 捨てぬ人をぞ捨つるとはいふ』

(出家する人というのは悟りや救いを求めていて、

本当に(煩悩、我欲を)捨てたと言えるだろうか、いや言えない。

出家などせず、世間の中で生きながら(我欲を)捨ててこそ、本当に捨てると言うのだ)

というような意味でしょうか。

 

また、出家後もなかなか世間との交わりを捨てきれず、

己の煩悩と闘い続けていたようにも思われます。

 

『いつの間に長き眠りの夢さめて 驚くことのあらんとすらむ』

(いつになれば長い迷いから覚めて、すべてに不動の心を持つことができるのだろう)

 

西行という人は、闇への魅力にも惹かれつつ、抗っていたようなふしもあり

次のようなエピソードも残っているようです。

「死人を蘇らせようとして、術を施したはいいが、

魑魅魍魎がわんさか湧いて出て、驚いて逃げた。」

 

なんだか、笑えるような、笑えないような・・・

 

何はともあれ、今日は新月。

明日から少しずつ、月は満ちてゆきます。

釈迦が入滅した日・・・

そしてその釈迦に憧れ、解脱(悟り)に憧れて、生涯悪戦苦闘しながらも

当時もてはやされた技巧的な短歌ではなく

野や山で、素朴な心を歌い続けた

そんな西行法師が、この世を旅立った日・・・

『如月の望月のころ』を偲び

今夜は、見えない月を愛でるとしましょう。