如月の望月まであと少し

あと二日で、如月の望月(旧暦)です。

現代人の感覚では、こんなに桜が咲いているのに、「如月」なんて変!

って感じがするかもしれませんが

もともと「如月」とは「桜」のイメージと結びつくものだと思うのです。

 

西行法師の、あの有名な歌を持ち出すまでもなく・・・。

 

   願はくば 花のもとにて春死なむ その如月の望月のころ  (西行)

 

西行が詠んだ「花」とは、もちろん桜のこと

仏道に入った西行は、釈迦の入滅(2月15日)と同じ頃

桜の花の下で死にたいと詠み

本当に2月16日に亡くなったのでした。

 

今年の如月望月は、新暦で4月4日。旧暦で2月16日です。

 

私は、西行について詳しいわけでもありませんし

短歌についても、何か語れるほどのものは持ち合わせていませんが

西行の歌は、どれほど技巧を凝らしても届き得ないある場所に触れている気がするのです。

西行が歩いた野や山、里の景色が・・・

西行の目を通し、耳を通し、私たちをいざなうような

私たちには、時代を超えて心の「ふるさと」のようなものがあって

今も私たちがその中に生きていることを

教えてくれているような・・・

そんな気がします。

 

   おしなべて 花のさかりになりにけり 山の端ごとに かかる白雲  (西行)

   風さそふ 花のゆくへは知らねども 惜しむ心は 身にとまりけり  (西行)

 

年中行事としての花見ではなく

みんながするから・・・の花見でもなく

目の前の桜と語らう「時」を、たいせつにしたいものです。

「時」は時間ではなく、心であり、私そのもののことでもあるのだと思います。