さつきまつ

さつきまつ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする      詠み人知らず(古今和歌集)


風に散る 花たちばなに 袖しめて 我が思ふ妹が 手枕にせん       藤原基俊(千載和歌集)


昨年は、蜜柑の花の開花が例年より遅く

今か今かと待ったものでしたが

今年は、例年通り、4月の末には

あの、なんともいえない香りが、すっぽりと私を包んでくれました。


橘と蜜柑は、違うといえば違うのですが

蜜柑の花の匂いが広がると、私は上の短歌を思い出します。


「さつき」は五月のことでもあり

五月に咲くからこそ「サツキ」という名がついた、花の「サツキ」のことでもあるのでしょう。

どちらにしても

「さつき」を待つ頃というのは、今頃のこと。

旧暦では、まだ5月ではないので・・・。


最初の歌は

以前の夫と偶然再会した元妻が、元夫の詠むこの歌を聞いて

尼になったというお話(伊勢物語)の中で出てきます。

そういう(歌の)背景とは全く別に

私には私の、この歌との響き合いのようなものがあり

大好きな歌の一つです。


「袖」というのは、単に「着物の袖」という物質的なものを指すのではなく

もっと、こう、なんというか

「心」や「魂」的なニュアンスがついてくる気がします。

「袖を振る」といえば、相手の心(気持ち、魂)を引き寄せる呪術・・・

というような意味合いが含まれているわけで。


そんな「袖」に花橘の香りが染み込むように

私の体に、蜜柑の香りを染み入らせ、

どうか心にまで染みこんでくれますようにと

眠る前のひとときを

香りととともに過ごしています。