序 章

2013-06-29 22:37:48

 

 時は平安。村上天皇の御代のことである。

帝の住まいである清涼殿の庭の、梅の木が枯れる・・・

という出来事があった。

それは、事件性(誰かが故意に枯らしたなどの)こそ無かったが、

後に『大鏡』で語られるほどの、遺恨を残す結果となった。

一体、誰が誰に遺恨を残したのかは、

『大鏡』の記述からは明確には読み取れない。

 さて、枯れた梅の木に代わる立派な梅の木を所望した帝は、

臣下にこう命じた。

「清涼殿にふさわしい梅の木を探して参れ。」

仰せを承った臣下にとって、それは難題であった。

ただの梅の木ではいけない。

帝が気に入るような木である。

そんじょそこらに生えているはずもない。

これはもう、紀州磐代(いわしろ)の梅の里まで出向くしかなかろうと、考えていた。

こんな大事、人に任せるわけにもいかず、

自分が行ってこの目で確かめ、選ばなくてはならない・・・。

気が滅入る・・・。

 

 ここで読者の中に、磐代(いわしろ)の名に見覚えのある方がいらっしゃるかもしれない。

そう、有間皇子が、最期の願いを込めて歌を詠んだ磐代の松・・・その磐代である。

ただ、その話は、これから語る話とは直接関係はしないし、

時代的にも大幅なズレがあるため、ここではそれ以上触れないことにする。

 

 梅の木一つに気が滅入っていた臣下のところに、吉報が舞い込んだ。

藤原某の娘が、ちょうど良い木を知っていると言ってきたのだ。

臣下は早速、藤原の娘に教えられた家へと向かう事にした。

 その家は京の町外れにあり、地味で古風な造り。

中の敷地は、外からは伺い知れぬほどの広さがありそうに見えた。

門をくぐると、なるほど、立派な一本の梅の木が目に飛び込んできた。

いや、立派なという形容はふさわしくない。

その枝ぶり、幹の色艶、花の咲き具合のどれもが、

えも言われぬ調和の元に、いきいきと生命の喜びを現しているかのようであったのだ。

家の主人には、帝の勅令であると告げ、

翌日には木を根から掘り起こす手はずとなった。

 

「さようでございますか。」

 

その家の主人は、一言そう言っただけである。

勅令には、有無も言わせぬ力があることは誰もが承知している。

しかし、それにしても拍子抜けするほどの簡単な返事だった。

 

続く