ひだまり

20編の詩を お届けします

2014年3月21日現在

つまんないこと

はあ~・・と、ためいきをついた私に

彼女は言った

「どうしたの?」

つまんないことで 悩んじゃって・・

「つまんないことって?」

あまりに つまんないことだから、言えない・・

「あら、まあ」

と、彼女は真顔で 私を見つめた

「それって、多分 つまんないことなんかじゃないのよ。きっと。」

ううん、バカバカしいことなんだ・・・ホントに

「あなたがそんなに落ち込んでるんだもの。間違いなく重要なことに決まってるわ」

そんなこと ないって。みんなに言ったら 笑われるって。

「みんなって、『世間』って意味でしょ?

『世間』なんて、得体の知れない暗闇の代表みたいなものだわ。

あなたが作り出した 想像上の『かくあるべき』という 枠組みにすぎない

そんなものを恐れて、

本当にあなたにとって大事なことを 抑えつけたりしちゃいけないのよ」

 

ええ~?じゃあ、どうすればいいのかな?

やりたい方を取れってこと?

できないって わかっているのに?

 

「ふふふ」

彼女は いたずらっぽく 笑った

「違うの

あなたにとって大事なことは、その悩みの中にはないのよ

どちらを選ぶかってことが 問題なんじゃないの

どちらも選べないから 悩んでるんでしょ

本当のあなたはね、そんなことで悩みたくないって言ってるのじゃなかったかしら?」

 

あ、そうだった

確かにそうだった

 

「つまんないことに こだわってるのがイヤって言っちゃうと、

自分をごまかすことになるわ

みんなに笑われるから 悩んでることが恥ずかしいって言っちゃうと、

悩めないのは みんなのせいって 言ってるのと同じよ

自分をごまかさない方が いいに決まってる

本当の自分の気持ちを大事にしましょうよ」

 

本当の、私の気持ち・・・?

 

「そうよ・・・本当のあなたは、もう悩みたくない

苦しみたくないって思っているんじゃないかしら?

それって、とっても重要なことだと思うのだけれど・・・」

 

重要なこと?

 

「あなたは、あなたに起こった出来事のすべてを

自分で解決できると思ってる・・・そこが勘違いかも知れないってことよ

現実問題で、Aを選ぶかBを選ぶかってことは、それこそ問題じゃなくてね

悩む自分を選ぶか、悩まない自分を選ぶかってこと」

 

もちろん、悩みたくなんかないわ

 

「それならね、あなたは 何もしなくていい

ただ、状況が勝手に変化するのを待てばいいのよ」

 

状況は、勝手に変化なんかするの?

 

「あら、勝手に変化しない状況なんて あるかしら?

あなたが本気で悩みたくないって思ったなら

状況は、そのように流れていくものよ」

 

まだ、不安げな私に、彼女は明るく笑って

こう 付け加えた

「私を 信用してみない?」

2013/12/30


眠り

いつまで 眠っていたいんだか

どれだけ 夢をむさぼっていたいんだか

あきれるほどに 私は夢を 好んでみている

 

私は、私にとって最良のことが何かを 知らない

私が誰なのかも 知らない

 

ただ、一人では決して 目覚められないということを

教えられて

 

それは、先に目覚めた人が 起こしてくれるという意味ではなくて

一緒に目が覚めるのだということ

一緒に目を覚ますのだということ

 

そのことだけは 忘れてはいけないのだと 思う

2013/12/31


互いに 鏡として映り合い 映しあう

「前」という世界の現実

 

あなたが曇って見えるとしたら

それは わたしが曇っているから

 

輝くあなたを見たいから

わたしは いつでもあなたの

光る鏡でありたい

2013/1/31


風は吹いているか

流れのままに・・・とか

ハンドルを手放す・・・とか

いろんな喩えはあるけれど

 

自分にとっての最善が何か を

私は 全く知らないのだ・・・ 

それに 気づいた時

「力を抜く」という意味が 少しだけ わかった気がした

 

そうして 振り向いてみると

すべてが OKだった

 

過去は、現在に至る一直線の時間の中になど なかったんだ

未来もまた、そんな直線の延長線上になど みつかりっこない

 

風は 吹いているか?

私の髪をゆらす風は 

やさしく やさしく 微笑むように

吹いているか?

2013/12/31


お日さまとお月さまが

いっしょに 昇って

いっしょに 沈んだ

一月一日

2014年の正月

2014/1/1


痛み

もしも肉体に、痛みを感じる知覚がなければ

怪我も、病気も、気づかないまま 致命傷になるかもしれない

そういうことは よく言われていて

多くの人が 経験上 知っている話

 

それなら

心の痛みも 同じなんだろう

心が痛むとき

それは 

心が 正しい位置に戻ろうとする力を

痛みとして知覚している ということにならないだろうか

 

感情に翻弄されている 表面の心では 決して見えないが

正しい位置を知っている心が、私たちの中に必ずあるということ・・・

 

それを 良心と呼ぶなら

良心は 善悪の判断など 及びもつかないほど 

果てしなく 広く 深い 

 

この、広大無辺にも見える宇宙を 包み込めるほどの深遠さを

良心は 持っているはずなのだ

 

そして、この物理的宇宙を 包み込めるものがあるとしたなら

それは、極微の一点しか考えられない

 

私たちの心の奥深く

みんなの心が 一点で結ばれている 極微の点が

宇宙を 内包しているのかもしれない

2013/1/3 


「なぜ?」

小学校の 理科の時間に

「水は、0℃で凍り、100℃で沸騰する」

と、教わり

水って、ふっしぎだー!っと思った

ぴったり0℃、ぴったり100℃って、すごいなー!

なんてね・・・

 

中学校の時

「水が凍る温度を0とし、沸騰する温度を100として、

それを100等分したのが、摂氏だ」

と、教えられ

なあんだ~、そういうことかあ・・・

と、妙に納得した

 

でも、何故、水が凍ったり、沸騰したりするのかは

わからないまま・・

思いをめぐらしてみれば

他のどんなことだって、私には わからないことだらけ

 

何故、1年365日なの?

「それはね・・・」

太陽と地球の関係を、理科の先生は 丁寧に教えてくれる

でも、私が聞きたいのは、そこじゃない

 

学校で習った、たくさんの法則は、

結局、何故なのかわからないものの上に

打ち立てられているんだ

 

人間は、何故だかわからないままに 受け取ったものを

体系立てて、理論立てて、法則を見つけていく

 

理由もわからず 人間が受け取るものを 与えた存在が、神なのか?

だとしたら、神はその「何故」をすべて知っているのか?

 

子供の頃、

「良いことをしたら、神様がご褒美をくれて

悪いことをしたら、神様が罰をあてる」

と、大人に言われたけれど

それって、なんだか違う気がした・・・

裁く神って、言い換えれば

人間の行為に反応するってことじゃないのかな

そんな自動販売機みたいな神様が

私の「何故」に答えてくれる気がしなかったんだ

 

この世には、(いや、あの世にだって)

人間の「何故」に答えられるものなど ないのかもしれない

ただ、より細かく詳しく解説するだけの 同義反復

土台が「無い」ものの上に広げられた 仮説の年表・・・

それが、科学?

だから、本当の神は それには答えない?

 

私の疑問は、膨らむことはあっても、増えもしなければ 減りもしない

形を変えて現れるだけで、いつも出所は同じ

「私は何故 ここにいるの?」

これが、私が生まれて最初に抱いた「何故?」だった

 

かと言って

容易で安価なスピリチュアリズムには 抵抗を感じてしまうんだ

科学を無意味として 簡単に退けるのも、引っ掛かりを感じるよ

科学が、多くのスピリチュアリズムが言うように

本来的には無意味だとしても、

有意味に変容させる力が、科学の側にはなくて

心の側にあるんじゃないのかな・・・

なんてことを 思ってみたりもする 

 

「何故」という問いかけは

おそらく

この世界に向けて発信しても 反響しか返ってこないのだろうね

それなら

「何故?」と 外に問うのを止めて

問そのものの中に 自分が入っていくしかないのかな

「何故」という問の森には、かつて自分が

迷った時のために落としておいたパンくずが、必ず見つかる気がするんだ

自分は、答えを知っている気がしてならないんだ

根拠も、証拠もないけれど

ほんの微かな 記憶のようなものがね

ささやくっていうか・・・

呼んでるんだ

2014/1/4 


林檎

林檎が 届いた

果物ナイフで くるるんって

皮をむいて

まるいまま かじる

 

やさしい かおり

林檎の かおり

2014/1/4


Imagine

想像してごらん

肉体なんて ないと

あなたにも、わたしにも、あの人にも、この人にも

肉体なんて ないと

 

空を飛ぶ鳥たちに 国境がないように

遮るものさえなければ 光はどこまでも届く

わたしたちは みんなでひとつの 光だと

 

想像してごらん

これは 夢なんだと

私やあなたや 世界に起こった出来事は

すべて リアルな夢なんだと

 

想像してごらん

救われる者と 救われない者がいるなんて、夢なんだと

一人が目覚めることは、みんなが目を覚ますのと 同じなんだと

源(source)は ひとつ・・・

わたしたちは 誰も

一度も天国(heaven)から 離れたことなんか なかったと

 

そうして 目が覚めたとき

私は 本当のあなたを見つけ

それは、同時に

あなたも 本当の私を見つけるってこと

 

こんなにも近くで

わたしたちが ずっと一緒だったってことを

思い出すんだ

 

想像するだけでいい

あなたに 手をさしのべている 天使が

すぐ 目の前に いるんだって

2014/1/7


うすくれないの

日の入り際の

霧わたる 山路に

 

薄くれないの 花の香りして

手が届かない もどかしさは ほんのひととき

 

心を延ばして 触れてみる

静寂の中に

形のない手は どこまでも 延びる

やわらかく しなやかに 延びる

 

心の手

光の指先

2014/1/8


手紙

あの人に 伝えたいことがある

 

  木枯らしに 

  まじって聞こえてくる

  公園のブランコが

  ギー、ギー・・と きしむ音

 

  元気に遊んでいる 子供たちの声

 

  冬の休日

  曇り空の下でも こんなに心は

  あったかい

 

直接 手渡せないほどに

遠くへ行ってしまった あの人に

届けたい手紙が ある

 

言葉にならないから

文字には できそうにないから

胸の中いっぱいに 便箋を広げるようにして

心の手で 書いてみる

 

あの人に 届くだろうか

 

「あなたへ」

と 

宛名を記したら

空のポストに 投函しよう

 

この手紙は

私が手を離さない限り

どこにも 行けない

大事に持っていては 

誰のところにだって 届くはずもない

 

だから

思い切って 手を離そう

あとは 郵便配達夫を信じてみよう

見えない天使たちは

風や鳥の姿をかりて

きっと、あの人の元に

手紙を 届けてくれるだろう

2014/1/18


見かけ上は

見かけ上は

太陽と月は 同じ大きさで

見かけ上は

月が太陽を 追いかけ、追いつき、追いこしていく

 

でも、本当は

太陽も月も 私の心の中にある

 

見かけ上は

あなたとわたしは 別の人

見かけ上は

寄り添い、離れ、すれ違う

 

でも、本当は

あなたとわたしは 背中合わせにくっついていて

見かけ上の距離は なんの意味もない

 

見かけ上は

私の顔は前にあり

見かけ上は

私は未来に向かって 歩いてる

 

でも、本当は

顔は、後ろを向いていて

本当のまなざしが わたしの本当の前を 

しっかりと見つめている

見かけ上の 時間には なんの意味もない

2014/1/20


はつかの月

子の刻に 見上げた 二十日の月は

 

夜風に千切れた  むら雲を

 

うっすらと  紅く染める

2014/1/20


山のかなた

山のかなたにあると 聞く

幸せなどというものは

ゆけどもゆけども ゆきつかず

ぼんやり霞む 蜃気楼

 

山のかなたの 遠くの空まで 

包んでしまえる心が あれば

幸せなどと 言わずとも

やすらかで、おだやかな

気持ちは いつも あなたのもとに

 

あなたの中に 幸せが

包み込まれているでしょう

2014/1/21 


地上の星

夜の扉が 押し開かれて

煌めいていた 満天の星たちが

ひとつ ふたつ と

姿を 隠し始める

 

朝日が 山際に映えるころ

星たちは 

小さな 小さな 金色の粒となって

地上に 降りそそぎ

まだ 眠りについている 私たちの胸の奥深くへと

すべりこむように 入っていく

ひとりに 一つずつ・・・

 

 

やがて 草木に 色が戻るころ

地上に降りた星たちは

私たちの胸の中で

声をひそめて 歌いだす

 

心の耳を澄ませば

星たちの共鳴音が 聞こえるだろう

 

不思議にも思える 嬉しい偶然の重なりは

星たちが 奏でる音楽

天上の光が

地上で歌う ハーモニー

2014/1/23


慈雨

きのう

暮れ方から 降り始めた雨が

次第に 雨足を強め

ひとしきり 屋根と地面を濡らしたあと

夜半には ゆっくりと やんでいった

 

一月には 似つかわしくない

暖かい雨だった

 

慈雨・・・

幼友達の名前が

ふいに口をつく

 

慈雨・・・

君に 会いたい 

2014/1/26


もう一度

もう一度

空を飛びたいと 思った

たたんでいた 背中の羽根は まだ

羽ばたき方を 忘れてなんかいないはず

 

もう一度

詩を書こう

 

もう一度

歌おう

 

もう一度

風になろう

2014/2/13


私という木

私という木は 広葉樹

 

春には 小さなうす桃色の花が咲き

夏には まん丸の赤い実をつけ

秋には 葉が一面に色づいて

冬には すっかり葉を落とし

 

そうやって

幹は 年輪を増やし 枝はぐんと伸びていく

それは あたかも木が成長しているように見えるけど

ただ、季節の移り変わりを その姿に映し出しているだけ

 

私という木の 言の葉は

出てくるままに 語るだけ

だから、説明や自己主張が とっても苦手

 

私という木に 咲く花は

思わずこぼれた 笑みのよう

だから、小さな蕾が開くとき 笑い声がもれている

 

私という木の 枝々に 

鳥たちのさえずりが 聞こえると 

私はそっと枝をゆらせて 鳥たちの会話に参加する

 

私という木の 見えない根っこは

大地に深く張っていて

土を伝って 交信してる

 

みんなという木の 根っこ同士が 

互いに暖めあう 土の中で

2014/2/17  


「今・ここ」の落とし穴

過去から未来へと

一直線に続く時間という概念がある

(そう、時間は概念に過ぎない)

 

その直線上に、

「今」「今」「今」・・・

と現在が現れるとすれば

 

時間は未来から、「あなた」や「わたし」や「みんな」を通過して、

過去に向かっていることになる

 

広大な宇宙空間という概念がある

(時間同様、これもまた概念に過ぎない)

その片鱗だか、中心だか知らないが

もしも「わたし」や「あなた」や「みんな」が

一つの広大な宇宙という空間の中に 点々と存在しているのなら

「ここ」は、無数に(分離して)あることになる

 

本当か?

 

もしも そうだとするなら

そんな「今、ここ」は、落とし穴だ

決して、時間の本質、空間の本質を知ることのできない穴に

はまっている

 

「今」は、不可逆的な直線の上にあるはずがない

「ここ」は、肉体が存在する場所であるはずがない

 

本当の「今、ここ」とは、光への乗り口ではなかったか

光に乗れば、わたしたちは

いつでも宇宙に偏在する

その宇宙は、光に乗る前に見ていた広大な宇宙を

一点に包み込んでしまう「わたし」という宇宙なのだ

2014/2/22


大きな木

鎮守の杜(モリ)の

社(ヤシロ)の横の

大きな木の前に 私は立った

 

立派な注連縄(シメナワ)をかけられて

その木は 黙って立っていた

 

「あなたは だあれ?」

話しかけても、返事はこない

 

私は その木をじっと見た

それから、そっと 木肌にふれた

耳をあて、木の声を聞こうとした・・・

 

何も言わない

何も聞こえない

 

もう一度、一歩さがって 木を見つめた

 

ああ

木は、木だった

こんなにも 木は木だったんだ

 

私は、見えない手で、木に巻かれた注連縄をほどき

木にこう言った

 

「あなたは、神を守る木でもなければ 特別神聖な木でもない」

「あなたはあなた」

「あなたという『木』」

「もう、何者にも縛られない、自由なあなたを 私は見ている」

 

ザ、ザ、ザー

っと、枝葉が一斉に揺れた

一陣の風が吹いたのだ

灰色の雲で暗かった空に

みるみるうちに真っ白の雲が立ち込めて

はらはらと

まるで 花びらのような雪を降らし始めた

 

私は、木に抱きついた

木は、あたたかかった

「ありがとう」

それは

私の声なのか、木の声なのか

わからないほど ナチュラルに

私の耳に 響いた

2014/3/16