その3

2013-07-08 18:24:59

 

 百合子は、さほど広くない洞窟の中にいた。両手をいっぱいに広げれば、左右の岩の壁に指が触れそうなぐらいの大きさ。しかし奥は底なしに深そうだった。真っ暗な闇が百合子の目の前に続いている。

 ヒタ・・・、ヒタ・・・。水のような液体が落ちる音。百合子の他には誰もいない。足元も濡れている。生臭い匂いがするが、それほど強烈ではない。

 ピト・・・百合子の頬に液体が滴り落ちた。手で拭って見ると、それは赤い血だった。ギョっとして、あたりをよく見回してみると、どの岩肌からも赤い血が滲み出ている。足元が濡れているのも、すべて血だった。ヌルっとした感触。百合子が叫び声を上げそうになった時、どこからか男の声が洞窟に大きく響いた。

「女の口紅は、この洞窟の血で出来ている」

 

 百合子はそこで目が覚め、夢であることがわかり少しは安心したが、恐怖が消えず、その後なかなか寝付けなくなった。ガタガタ震えながら布団の中で身を固くしていたが、とうとう我慢しきれずに、隣の部屋で寝ている母親の布団に潜り込み、背中を撫でてもらい、ようやく震えはおさまった。

「どうしたんだい?」

と、母親は百合子に聞いたが、夢の話はとても口にすることが出来なかった。

 

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  百合子の母親は元々体が丈夫な方ではなかったが、、その頃からはめっきり体調を崩して病院通いをするようになっていった。百合子がそんな怖い夢を見た事と、母親の体調不良とは何の因果関係もない。そんな事は分かっている。しかし、百合子は、なぜだかあの夢と、母親の病気が並列に思い出されるのだ。

 母は子宮筋腫を患い、百合子が小学4年生の時に手術で子宮を摘出した。腸が子宮に癒着していたらしく、手術は難航し、5時間にも及んだ。ようやく手術室の明かりが消え、出てきた医師は、百合子たち家族に、たった今摘出したばかりの子宮を、銀色の皿の上に乗せて見せてくれた。

「これが筋腫ですね。」

表面はトマトのようにツルリとして、桃のように柔らかそうな丸い子宮。ベロンと軽く舌を出すように見えている筋腫。

 これで、母の病気は治る・・・はずだった。が、その後も母親の症状は悪化し、次に発覚したのは、卵巣癌だった。

 百合子が6年生になったばかりの春、母親は再び手術を受け、今度は卵巣を摘出した。しかし、予想以上の出血で、緊急輸血も間に合わず、母はそのまま帰らぬ人となった。

 実を言うと、百合子はこの頃のことをあまり鮮明には覚えていない。ただ、母親の死後数日で、飼っていた白猫も死んでしまったことだけが、百合子の脳裏に蘇る。暖かそうな座布団を敷いた猫用の箱の中で、白猫が丸くなって死んでいた時の事を。

・・・一人ぼっちになってしまった・・・百合子は縁側に座り、何度も何度も猫を撫でながら泣いた。

 現実的に百合子は一人ぼっちではなかった。一人っ子だったが、父親は生きていたし、友達も大勢いた。それでも、その時の百合子の心情は「一人ぼっち」・・・それしかなかったのだ。

 思えば、それは、あの花嫁行列を見てから、丸二年後の春の事だった。


続く